革命的な日常

 どうも、冬も寒くなってきたような気がする月黄泉です。


 今日自転車に乗ってる最中にチェーンが吹っ飛びましてだいぶ苦労しました。 生まれてから長くない人生とはいえ、こんなことは初めてです。 おそろしや。


ネットで議論を行う事の困難さ

 えっと、せっかくコメントもらったので記事についてもう少し言及しときましょうか。
 僕らのコミュニティというかクラスタというか、その辺は「議論しようぜ!」と言って議論ができるのかできないのか難しい集団でして。 自然に議論が起こることはある、みたいとしか言いようがない。 議論が能動的に発生するものか自然に発生するものかで言えば、たぶん後者でしょうが。 だから日常茶飯事議論が起こるなんて、リアルではないはずです。 え、ないよね? たぶん。 そんな悩みを解決してくれるのがネットでして、たいていどこでも議論できます。 やろうと思えば。 でもたぶん話になりません。
 ネット文化について僕みたいな若輩者が言うことはできませんが、まぁそれでもネットにはいくつも文化圏というかコミュニティみたいなものがあることは分かると思います。 文化にはそれぞれ歴史があって、そこで通用する暗黙の了解とか知識が求められるわけですよ。 もっと端的に、極端に言ってしまえば通用する言語が異なる。 なんで議論ができないかって、そこはそれ、言語がそもそも違うから、というのがあります。 まぁたとえば2ちゃん語とか。 別にそういったものでなく、専門用語とかもかな。
 ほとんどネットに対する私見だし、あまり言い過ぎても胡散臭いだけだし深くは言いませんが、ネットで議論を成立させるにはそれなりの条件が必要。 まず場所。 次に言語。 そして知識。 場所については炎上とまではいかなくとも、そのページに対して多大な負荷がかかる覚悟も必要だと思う。 言語は、まぁ、難しい問題ですが、通じればいい。 知識がないと議論になりませんから、これはまぁ普通かな。
 で、それ以上に大事なのが、意思の疎通が可能、ということ。 そもそも議論などする気はなく、自分の主張を正しいと周りに認めさせたいだけ、とかそんなのだと厳しい。 あれ。 議論ってそういうものかな。 今回記事先で問題になってるのは、意思の疎通が可能か、というレベルの話じゃないのか。
>もっと端的に言えば、「バカに対して反論するなんて、基本的に同じレベルのバカのやることだから、やめといた方がいいですよ」、というメッセージがこもった内容になっている 『ネット時代の反論術』p214より
 と記事先にありましたが、これでは意思の疎通は不可能ですよね。 議論する気じゃないんだから議論は起きない。 こういうのを見てみるとネットでの議論ってのは能動的に発生するのかな。 ネットでの日常生活(難しい表現)中に議論が自然発生する、というよりも議論に入っていくことの方が多いのでは。 まぁそうなると先に述べたように、文化の違いで議論が成立しなくなる、ということが起こる可能性がある。
 この辺の文化の違いとか、議論についてとかはhttp://homepage1.nifty.com/maname/の人が詳しいと思うので過去ログ読みましょう。 未だにアルファブロガーってなんのことか知らない僕はまなめはうす初心者なんですが。 ムラ社会とかも大雑把にしか用語知らないんだよなぁ。
 

 こうやってだらだら書いて記事紹介しなくてもいいというのは案外お得かもしれないと思う十五の夜。 あ、今日は十二日か……まぁどうでもいいや。 でも絶対記事紹介の方が需要があるわけで。 しかし、ウチなんかが似非ニュースサイトをするまでもなく世界は回ってるわけでして。 そう考えるとニュースサイトが増える意味はあるのか、なんて考えたりするんですが、まぁ増えることは情報の多様化で良いと思うので次からがんばる。 その辺のニュースサイト論についての記事もまなめはうすにあるだろうから興味ある人は読んでおきなさい。 ってお話でした。