無常

 右と左が分かりません、月黄泉です。


 えーっと、カーニバルの二巻を読んでいてまともに巡回してないので今日は引用なしで。
 いやもうね、清涼院流水はあれだね。 読むのに時間がかかる。 ラノベの五分の一ぐらいのスピードだ。
 二巻は特に読み難い。 一連の事件を大きく十三個に分割して、一つが短編のノリで書かれている。 非常に読み難い。


 以前清涼院流水はキャラが書けていないとか言いましたが、袋とじ読んでみて、どうもそういう手法を意識してるんだ、と初めて知りました。
 氏も触れていますが、ミステリにおける「天才」の描写は非常に難しい。 天才探偵とか天才犯罪者ね。 普通の小説であるなら、天才っぽい人物を描写することも可能ですが(それでもそれなりの手法がいるが)ミステリでは具体的にどういう天才かを書かないといけないという問題があります。
 というのも、天才でない人が天才を描くには、簡単な手段を用いるなら、設定だけを「天才」として具体的なシーンを書かなければいい。
 まぁ普通の学園ものとしましょうか。 主人公は成績優秀で学年一位。 全国共通模試一位でもいい。 しかし、それをリアルに描くのが困難なのは自明ですよね。 デスノートとかは例外かなぁ。 あれはちょっとケースが違う。 で、別に作中で具体的に全国一足りうる描写をすることは必ずしも必要でないわけで。 まぁ説得力を持たせるために、解説役を割り付けるのもいいですけど。 ぶっちゃけ、「今回も全国共通模試で一位だった」とか書いときゃいいわけですから。
 ミステリにはそういった安易な設定のみの回避ができない。 やってみればわかる。 主人公は空前絶後の超絶天才探偵です。 事件が起こります。 ここで事件がすぐに解決してしまう、という可能性が出てくるのです。
 別に事件が瞬間解決してしまうのもいいわけですよ。 ですが、それで面白い話ができるかは疑問です。 その場合は事件そのものの工夫が必要になってきますね。
 主人公が天才であると、どうしても事件そのものの工夫が必要になってくる。 たとえば、その天才すら手を拱く事件だとすると、今度は犯人が天才、あるいは事件が天才的計画である必要が出てくる。 いくら作中で犯人を「天才だ!」と褒めても、実際に読者が天才と思うかは別なわけです。
 ちなみにこれの回避方法もあります。 犯人も計画も天才なものでなく、天才探偵がすぐに解決できないもの。 犯罪の規模を広げるとか、あらゆる偶然が起因して事件が変質しているとか、証拠や証言が嘘ばかりだったとか。 叙述トリックなどに逃げるのもアリかもしれませんね。 逃げるには道が細すぎるが。
 そんな苦労するなら、探偵は普通の探偵でいーやとか思うわけです。
 だが、清涼院流水は違う。
 あろうことか、天才探偵を十数人登場させてしまいます。
 でもまぁ上に書いたとおり、具体的に描写するのは無理なわけで。 ほとんど設定だけで逃げを打って、結構空虚な感じなんですよ。 これがキャラが書けていない、と言った理由…………ではありません。
 それは手法なので、上手下手があれ、瑣末な問題です。
 僕が言ってるのは、普通にキャラが書けてないだけです。 つまらなすぎる会話や意味不明脈絡皆無の行動、温度差を感じるテンション、現実味に欠ける人間関係。
 繰り返しますが、清涼院流水はキャラで売ってるわけではありません(一部売ってるけど)。
 彼はその凄すぎる発想で売っているわけです。
 というわけ。 まぁ私見ですが……


 あーちなみに、別に主人公が天才であってもなんとかなるのあるよ。
 たとえばコナンとか金田一でもあるように、一回の事件で残る証拠が少ないとか。 人間関係を不透明ししておくとか。
 というよりも、実は探偵が天才であるケースがほとんどですたぶん。 まぁ、常人が気付かないことに気付かなければいけないので当然と言えば当然なのですが。 あれは証拠や動機の不透明さに依存しているタイプかなぁ。 事件そのものに大したトリックがなくても、探偵が解くための手がかりを減らすことによって停滞させるタイプ。 でも、本当に凄い探偵なら、事件が末期になる前に解決しますよね?


 で、事件や作ったトリックに自信があるなら、探偵を天才とするのも良しだと思いますよ。 事件を末期まで進めないとミステリになりませんから、自分が作った「天才」を欺き事件を進めてください。 読者を納得させられれば完璧です。




 ……はっきり言って穴だらけのお話です。
 また今度。